2015/9/16(WED)
SHINJUKU LOFT PRESENTS 『ENDSCAPE vol.3』
IN SHINJUKU LOFTBARSTAGE
・小野﨑建太.岩瀬晃二郎 By SHIT HAPPENING
・越雲龍馬 By polly
・鴻池遼.雅景 By ARCHAIC RAG STORE
・タダヨシフミ By kuh
ARCHAIC RAG STORE
アルカイック ラグ ストア
Dr.奥村眞也
Gt.雅景
Vo/Gt.鴻池遼
Ba.横山航大
(L→R)
元BLANKEY JET CITYの浅井健一プロデュースのもと活動していた前身バンドのメンバーだった鴻池遼(Vo/Gt)と横山航大(Ba)、奥村眞也(Dr)を中心に2013年3月に誕生。
「COUNTDOWN JAPAN」にも出演経験のある元RAGOUTの雅景(Gt)を2014年2月に加え、現体制となる。
身体の芯を一瞬で突き抜いてくる感覚を覚えさせる彼らの音楽。稲妻が全身を伝わる感覚、
聴けば聴くほど衝動のふり幅は拡がり、とどまることはなく、臆することなく突き進み続ける。
平均年齢20歳。"この年齢なのに"ではなく、"この年齢だからこそ"の未知なる世界を、確実にその手で掴むであろうと確信させる強さに満ちたライブステージ、その裏腹でどこか控えめな彼らの人間性から、決して目を離さずにはいられない。
公式HP⇒http://www.archaicragstore.com/
公式Twitter⇒https://twitter.com/ARCHAICRAGSTORE
YouTube⇒『NEXUS』
2015.8.29 interview
―結成のきっかけは?
Vo,鴻池遼「俺とBa,横山航大が中学からの同級生で、お互い音楽系の部活に入って一緒にバンド組むことになったんです。
高校に入学して高校でも一緒に航大とはバンドを組んでいたんですけど、そのうち俺が外のバンド仲間と繋がる機会が増えて、外でもバンドを組むようになって。
その組んだバンドのベースが千葉出身だったんですけど、本八幡3rd STAGE っていうライブハウスに彼がよく出てて、ある時連れてってもらったんですね。
そこで後輩とか紹介してもらったりして、その流れで「俺が今すごく好きなバンドマンがいるから今度また紹介するよ」ってなったんです。
後日そのバンドマンが出るライブを見に下北沢にいったんですけど、それが今のDr,奥村眞也だったんです。
その時に奥村さんを初めて見て、なんとなくいいなあって。
その直後にバンドでライブがあったんですけど、ドラムが出られない事があって、その時に奥村さんをサポートとして入ってもらったんです。
日程が決まってスタジオに初めて一緒に入った時にすごくよくて、この人と一緒にバンド組みたいなあって思ったんです。
しばらくして高校内で組んでたバンドが解散して、航大とは引き続きまたバンドを組むって話にはなってたんですけど、その新しいバンドに奥村さんと当時のギターを誘ったんです。
それがARCHAIC RAG STOREの結成って感じでしたね。」
―そうだったんですね!
遼「それからARCHAIC RAG STOREとしてライブ活動をするようになって、でもだんだん俺と当時のギターとで目指す音の形が違う事が多くなってきて当時のギターが抜けることになって。
それで次誰かギターを、って探している時にアルカイックと数回対バンしたことがあった『RAGOUT』というバンドのギターだった現アルカイックのGt.雅景さんの事を真っ先に浮かんで。
対バンの時に“NEXUS”を転換中とかに雅景さんが弾いたりしてて、その音が俺のすごく好きな音だったんです。
それで雅景さんの事を誘って、4人でスタジオに入った時に“夜を翔ける鳥”を持って行ったんですけど、合わせたらものすごくよくて。
そこからARCHAIC RAG STOREが再スタートしたって感じですかね。」
―雅景さんをアルカイックに誘ったタイミングは『RAGOUT』は活動されていたんですか?
Gt.雅景「ガッツリ活動中でしたね。だから最初誘われた時、サポートならっていう話だったんです。
そこから3か月ぐらいサポートとして入っていたんですけど、ある日東新宿のすき屋で、遼君に「加入しませんか」って誘われたんです、牛丼食べながら(笑)」
遼「入ってくれないんですかねーまじで、的な。(笑)」
雅「その時に多忙になるけどできるなって思ったんです。」
―それぞれバンドや、楽器を始めようとしたきっかけは?
遼「中学に入って何かしたかったんですけど、何しようかな~って。
特に勉強もスポーツも興味がなくて好きでもなければ得意でもなかったんで。だから親父がギターを弾いてたっていうのがあって、なんとなくギターでも初めてみようかなって。
小学6年生の時に渋谷のTSUTAYAにふらっと行った時に、ちょうど『ELLEGARDEN』が活動休止するタイミングで、ベスト盤が大きく展開されてたんですよ。
PVとかも流れてて、「なんだこれ!」って思ってすぐ買っちゃったんです。
そこからのめり込んで、ギターも弾くようになってって感じですね。」
雅「僕は小学5年生ぐらいに『ASIAN KANG-FU GENERATION』がアニメの主題歌になってて、親にCD買ってもらって中学まではずっとアジカン聴いてましたね。
親が楽器弾いてたっていうのがあって、教えてもらってって感じでした。」
―バンド名の由来は?
遼「とにかくカッコイイ名前にしたいなっていうのがあって。
何かいい言葉ないかなって探してた時に、ちょうどその時に覚えた英単語で“Archaic”という言葉があって。
“Archaic”の意味が、“仏”とか“謎めいた”とかいう意味なんですよ。
仏様ってちょっと笑ってません?微笑を浮かべてるじゃないですか。
その仏様の笑みの事を“Archaic Smile”って言うんですけど、うちのドラムの奥村さんって、初めて会った時からずっと笑みを絶やさないんです。
ライブ中もだし話してる時も、いつ何時構わず笑ってるんですよ。
それって謎めいてません?(笑)
こんなこと仏様に言ったら失礼なんですけど、仏様の笑みと奥村さんの謎めいた笑みが俺の中で重なって。(笑)
それで、「アルカイックいいな!」って思ったんですよ。(笑)」
―奥村さんがドラマーとしていたからこその“アルカイック”だったんですね(笑)
遼「そうなんです。それで、“Archaic”ってきたら・・・・・・・“Rag”だなって。」
―・・・・・・!?????
遼「なんか、“Rag”が出てきたんですよ(笑)かっこいいじゃないですか、“Rag”って(笑)
でも“Archaic Rag”じゃ物足りないな~って思って、“Store”だなって。(笑)」
―しっくりきましたね。(笑)
遼「『ZEPPET STORE』ってバンドが昔いたんですけど、俺的にそのバンド名がすごく好きだったんで、もしかしたら無意識にそこから取ったのかもしれないですね!」
―バンド名の意味合いというよりも、造語っていうニュアンスに近いんですね。
遼「そうですね。意味合いというよりも、「このバンドってどういうバンドなの?」という風に目につくバンド名にしたかったっていうのがありますね。」
―ライブ中どんな気持ちでステージに立っているんですか?
遼「自分で書いた歌詞を歌いながら自分で聴いてるって感じです。
噛みしめるっていうと解りやすいんですけど、自分自身に伝えてますね。
前まではライブ中、歌い方とかですごく歌詞が聞き取りにくいって言われていて。
それから自分の歌を聴きながら歌ってみると、自分の歌で感動してくれる人がいたり、周りの反応が露骨に変わって。
なのでまずは自分の中の世界に入り込んで、お客さんに伝えるようにしてます。」
雅「お客さんの事を考えてますね。場の雰囲気を共有したいというか。
僕自身もまず遼君の曲の世界に入り込んで、お客さんと世界を共有するというか。
自分は歌わないんで、生々しいものの伝え方の種類が違うので、気持ち的な面をすごく大事にしてます。」
―今回の『After the Dawnind' TOUR』どんなツアーでしたか?
遼「アルバムを全国リリースしてみたものの、まずは全国に少しでも自分らの名前を知ってもらえればっていう思いでしたね常に。
各地各地でお客さんがすごく少なかった場所ももちろんあったんですけど、それもそれで「絶対にいつかここにワンマンやりに来るぞ」っていう目標が出来たりしましたし、一本一本がいい意味で悔しい思いをたくさんしました。
それを経ての東京に帰ってきて、いざ蓋を開けてみたらお客さんがたくさん待っててくれて、お客さんの表情を見てみたら「みんなすごくアルバムを聴いてくれたんだなあ」とか、こんなにおかえりっていう感じで迎えてもらえるんだなあっていうのがすごく嬉しかったですね。」
雅「僕は個人的に思ったよりも出したアルバムが、自分のアルバムとしてモノにできてなかったんだなあっていうのに気付きましたね。
例え演奏が出来ていたとしても、気持ちが共有出来ていない箇所があったり、解釈が違う部分が多かったり「自分らの曲の事わかってなかったんだな」って気付く事が多かったです。
メンバー内で話し合ったり、自分自身で考え直したりして、やっとこのツアーでARCHAIC RAG STOREのメンバーの一員としての位置が掴めたなって感じがします。
サポートから初めて、やっと芯から自分のギターが弾ける場所になりました。」
遼「2013年に結成してから2年半分ぐらいの中で作った曲が、今回のアルバムには全て詰め込まれているんです。
盤が完成して、ツアーを回って、ツアーファイナルでようやく『After the Dawning』が完成したんだなあって思います。
次2nd ALBUMを出したとしたら、またツアーを回って、ツアーファイナルでそのストーリーが完結して次のステップに行って。
なので今回のツアーは次のステップへ行くために一歩踏み出せる俺ら自身にとってのいい機会になりましたね。」
―バンドとしての目指す姿は?
遼「自分の曲であらゆる世代の人とか、ジャンルというものを飛び出してとにかくたくさんの人に受け入れてもらえるバンドになりたいですね。
ライブハウスで集客が増えたとしても、そこで終わるのではなくてその先のあらゆる人に届けたいです。
それで自分はこの先も自分自身に問いかける歌詞を書き続けていきたいです。
押し付けるんじゃなくて、自己投影してもらえるようにというか。
そういう意味では誰に対してというよりも、聴く人全てに届けられるようなバンドになりたいです。」
雅「バンドとして魂籠っていたいっていうのがありますね、何処へ行ったとしても。
この先どうなるか分からないですけど、曲に鍵盤を入れたりとかあったとしても、バンドとしての芯は崩さずにいい方向に成長し続けたいっていうのはあります。
まだなりたいバンド像っていうのははっきりしていなくて。
今はどんな方向にでも向かえると思うので、今自分が一番良いと思っている方向に進み続けられればと思います。」
polly ポーリー
Ba.刀川翼
Dr.高岩栄紀
Gt.飯村悠介
Vo/Gt.越雲龍馬
(L→R)
2012年4月、宇都宮にてバンドを結成。
2013年7月、FM栃木主催「ベリコン2013」グランプリ受賞。2014年7月、UK.PROJECT主催「Evolution!Generation!Situation!」で、応募総数1000組の中から、ファイナル12組に残る。同年12月には、地元宇都宮でのワンマンライブで200人ほどの動員を記録。
2015年6月、UK.PROJECT/DAIZAWA RECORDSより1st mini Album「青、時々、goodbye」リリースし、現在全国ツアー中。
冷たさと暗闇が垣間見える彼らの生み出す世界は、覗き込むというよりも、潜り込む。
深く、広く、掴めそうで掴めない不思議な距離感。優しさと温かさの反面に抱く虚無感。
言葉と音に、感情の矛盾が常に寄り添ってくる。
ここで歌うために生まれた と言わんばかりの静かで、泣き、叫ぶような姿を見てしまったとしたら、それはもう彼らの浮世では。
公式HP⇒http://www.polly-jp.net/
公式Twitter⇒https://twitter.com/polly__jp
YouTube⇒『ナイトダイビング』
2015.9.3 interview
―結成のきっかけは?
Ba.刀川翼「元々自分とVo/gt.越雲龍馬で高校2年生の終わりぐらいからバンドを組んでいて、
結成して2.3年ぐらいのタイミングで当時のDrが抜けるという事になったんです。
その時に「次は4人で組もう」という話になったんですけど、まずGtを探していたら良い奴がいた!っていうのがGt.やんす(飯村悠介)です。
やんすとは当時やんすが入ってたバンドと何回か対バンしたことがあって仲良くなったというのがきっかけですね。
Dr.高岩栄紀は、彼の兄貴と仲が良くて対バンしててというのがきっかけです。」
―バンドを始めようとしたきっかけは?
翼「龍馬は中学の時に学祭でギター弾いてましたねー。
元々サッカーをやってたんですけど、高校の時にサッカーを辞めるタイミングがあって。
その時に学祭の時に買ったしばらく弾いていなかったギターが龍馬の目の前にあったらしくて、またギターやってみようってなったみたいです。
「目の前にあったギターが目に入った」と言ってました。(笑)
龍馬とは違う高校だったんですけど、急に電話が来て、自分もバンドにという感じでした。」
―バンド名の由来は?
翼「龍馬が小説を読んでいて、その小説のヒロインの名前が『ポーリー』って名前だったらしいです。
元々 P から始まる名前がいいと言っていたので。だから意味合いというのは無いみたいですよ。」
―pollyのバンドイメージの“雨”というのにはどんな理由が?
翼「雨にしたくてした訳じゃないんだと思うんですけどね・・・・雨男だとは思いますけど(笑)
ライブも雨ばっかりですし。
でも龍馬は雨は嫌いじゃないみたいですよ。」
―今までですごく印象的だった雨の日のライブってあります?
翼「2013年のベリコンで野外だったんですけど、何故かpollyの時だけ雨が降ってきて、お客さんがみんなテントに逃げ込んでましたね(笑)
それで出番が終わったら止むっていう。
本当に急に降ってきたんですよ。
そういうのがあったから“雨バンド”って言われるのかもしれないですね。(笑)
まあ曲も“雨”というワードが入っているのが結構多いというのもあるとは思うんですけど。
雨ばっかりです。」
―越雲さんの歌詞はとても不思議な世界観がありますよね。色々なものに覆われているというか。
翼「歌詞の言葉の選び方にはすごく気を遣っていますね。
ストレートといいますか、解りやすい歌詞というのはなかなか限られてくるなあと思います。
隠してるというか、歌詞をモロに出さないですね。
龍馬の考える事って俺らでも何を考えているか分からない事ありますし。それがpollyなんだと思います。
でも意外と人に言われた事とか気にしちゃうタイプだったりしますよ(笑)」
―来週ツアーファイナルを迎えられるかと思いますが、今回のツアーはどんなツアーでしたか?
翼「今回は前半にライブを詰め込みましたね。
7月前半に関東で後半北に行って、帰ってきて西に行ってーって感じでしたね。
去年のツアーはまだ栄喜が高校生だったので「夏休みしかない!」ってなって夏休みに一気に詰め込んでたんですけど、今年はもう高校卒業したしゆったり進めようとしてたんですけど・・・・結果詰め込んでましたね。(笑)
でも去年のツアーとはまた違った手応えというのはちゃんと感じられました。
ツアーファイナルもとても楽しみですね。」
―9月21日にSHIT HAPPENINGとの対バンありますね!とても久しぶりなんじゃないですか?
翼「すごく久しぶりですねー。
4月にTOKYO KAIDOというイベントで一緒にはなったんですけど、それは対バンって感じではないので・・・その前だともう覚えてないです。
うめちさんとは何だかよく会いますけどね(笑)
前日自分らが仙台なんでかなり攻めてるスケジュールにはなるんですけど、とても楽しみです。」
―結成3年半目を迎えて、今後バンドとして目指す姿などはありますか?
翼「目指す姿というか、それをちょうど今考えている時期なんです。
今後のバンド像というのに関しては。
ツアー終わったら話し合おうというところなので、今はまだはっきりとは言えないです。」
―いよいよ9.16『ENDSCAPE vol.3』が開催されますが、越雲さんの弾き語りならではの見どころってどこでしょうか?
翼「今までの傾向で言うと、弾き語りはまた普段と違ってアレンジが全然違いますし、弾き語りでも音色を色々使って来ていたので。
とても久しぶりなので自分らもとても楽しみです。
バンドで4人でやるのとは違って弾き語りは1人でやりたいようにやってるので、より自由に自分の世界に入り込んでやると思うので、どう作り上げてくるか楽しみにしててほしいです。
まあ当日どうなるか全然わからないんですけどね(笑)」
SHIT HAPPENING
シットハプニング
Dr.梅田貴之
Vo/Gt.小野﨑建太
Gt.岩瀬晃二郎
Ba.今瀬智成
(L→R)
2008年地元宇都宮にて結成。全員同年齢。バンド名の由来はここをご覧あれ。
時代に合わせる音楽 が生き残る時代。
結成7年目。彼らの音楽を貫き続け、凝縮し、生き続けてきた一つの形としてFIVE RAT RECORDSより2015年8月『Landmark』が発売。
遠回りして、遠回りして、辿り着いた答えがここに。
真っすぐすぎて、どこか捻くれている楽曲、そして綴る言葉。
横並びというよりも、常に背中合わせではなかろうかと思わせられる4人それぞれが目に映す光景は、不思議と同じ光景であると垣間見せるライブステージは、まさに彼らならではの武器では。
彼らが4人揃って一歩先に辿り着いた答えを、ようやく時代が辿り着く瞬間はすぐそこまで来た。
公式HP⇒http://www.shithappening.jp/
公式Twitter⇒https://twitter.com/SHITHAPPPPENING
YouTube⇒『Seeker』 『Sign』
2015.8.23 interview
―8月5日に約1年ぶりとなるNEW ALBUM『Landmark』を発売されたわけですが、
今作のアルバムの作成はどのような作品なのでしょう?
Vo.小野﨑建太「“透明人間”(2014.10.22発売)を作り始めた時に、「こういう曲もできるんだな」って自分たちの中で認識して、
当初今回もそう作っていこうと思っていたんですけど、今の自分の生活や環境において身に降りかかるリアリティを優先した方がいいなって思って、視点を変えたんです。
それで原点を追求した結果、昔に戻す、というか。
曲的にも、歌詞的にもちょっと前に戻してもう一度、これまでやってきたことに特化してみて。
出来上がってその曲とか歌詞を見てみたら、答えが出たというか。
それでタイトルの総称を『Landmark』にしたんです。」
―曲順の決め方は?
建「曲が出来てきて、一曲目は晃二郎が作った“Howling”って曲で、それ以降は俺が作った曲だったり、晃二郎と作った曲なんですけど、アルバムの流れの決め方っていうのは昔から変わらなくて。」
Gt.岩瀬晃二郎「最初にあがってきた時点でなんとなくわかるよね。大体この辺に来るなーとか。」
建「自分がこれまで色んな作品を聴いて来て、この曲は1曲目として幕開けに相応しいなあとか、2.3.4曲目はすごく世界観のある曲とか、フックがある曲っていう流れが好きっていうのがあって。
だから意図的に「こうしよう」って並べたわけではなくて、曲が出揃ってきた時になんとなく「これで始まったらかっこいいかな」っていう風に毎回並びを決めてます。」
―曲数どのくらい書きました?
建「俺100曲とか書かなくて。
まあ途中段階でボツにしてるってのはたくさんありますけど、ミニアルバム作るとしたら大体10曲とか作って、その中から選びましたね。
プリプロに持っていくまでには出したい曲とか、これだっていうイメージが明確になってます。」
―晃二郎さんと建太さんの作る曲ってカラーが全然違って面白いですよね。
晃「結構言われますねー。同じアルバムの中に違う人間が曲作るって面白いんですよ。」
建「晃二郎とはそもそも根本から拡げ方だったり作り方が違うんですよね。
だから作ったら違う雰囲気が出るっていうのが解りやすいというか、でもそういうのに気付いて貰えるのはすごく嬉しいですね。」
―晃二郎さん作詞作曲の曲の時と、建太さんの作詞作曲の曲の時の感情の乗せ方ってやっぱり変わります?
晃「俺が作詞の場合は、結構建太に投げてたりしてて、2人で作ってたりするんですよね。
俺が投げたものを建太が手直しして、建太節っぽくしてくれるというか。
「内容はこうだけど、言い回しをちょっと俺っぽくしていい?」っていうのがあったりするので、感情は寄せやすいんじゃないんですかね。」
建「そうだねー。でもやっぱり自分が作った曲以上に歌うにあたって分析する必要があるし。
だから無意識に色々変わってるんだろうなーって思います。
制作の段階でどういう風に持ってきたかっていうのは本人にしか分からない事がたくさんあるじゃないですか。
そういう最初のところから話を聞いて、どういう風に感情を乗せるか、どういう風に歌ったらいいかとか考えますね。」
晃「でも”howling”に限らず今回すげーたくさん話し合ったし、こだわったよね。」
建「時間がすごく密だった分話し合う機会が多くて、時間が短いなりにすごくいい時間だったなあと思います。
今回いつもと違う事を取り入れてみたんですよね。
例えばドラムの音を「こういう曲だからこういうドラムの音作りにしてみよう」とか、普段よりもギターの音質をこだわってみたり、自分たちの中ではいつもと違う挑戦的な事をやってみたりしました。」
晃「今までだったらギター2本しか入れないけど、「ちょっとここに薄く3本目入れてみよう」とか、そういうの結構あったよね。」
建「レコーディングってみんなで料理作る感覚に近いんですよね。カレーみたいな?
最初に火点けて鍋に油ひいて、どんな野菜炒めようか~あ、でも先に肉炒めて~味付けはこれでいいかな~もうちょっと濃い方がいいかな~スパイスはこっちにしようか~とか。
それを繰り返して、完成までみんなで持っていくって感じなんです。
「絶対牛乳入れた方が丸くなって旨いから」「え、お前の家牛乳入れるの!?」みたいな。(笑)」
―恋愛系の歌詞の“言えない”が、バラードじゃなかった事にとても驚きました。
建「この作品に限らずなんですけど、激しさとかカッコいいサウンドの中に切なさがあるっていうのがずっと好きで。
今回自分がこの作品を作るにあたって、自分が音楽聴き始めた頃とかに衝動的に感じた カッコいい ってなんだったっけ?って考え直したら、そういうのだったよなって。
激しさと、爽やかなんだけど切ないっていうのを表現したくて、ああいうテンポになり、ああいう歌詞になりって感じです。」
―“Come back 17”の隠しトラックの“17”ってあれ本当に17歳の時に録ったんですか?
建「17歳の時に作って、18歳になったぐらいの時に遊びながらMTRで録ったんです。
休日田舎だとやることがなくて、音楽が大好きってなってくるとやっぱそういう風になってくるものなんでしょうね。(笑)」
―なんでこのタイミングで入れたんですか?
建「今回“Come back 17”を作って関連付けるってわけじゃないけど、“17”のアンサーソングが“Come back 17”なんだっていうのを一つのパッケージとして残しておけるって事は素晴らしい事だし、残しておきたくてああいう並びになったんです。」
―もし17歳の段階で音楽をやっていなかったら今何やってると思います?
建「サッカー選手でしょうね!!!って言っておく!
晃二郎はあれでしょ、パパラッチでしょ?そういうのになりたいって言ってたじゃん?スキャンダルとか追う人になりたいって。(笑)」
晃「ちょっと(笑)俺がパパラッチになりたかったって知ってみんなどう思うわけ(笑)
でもまあ普通の仕事はしてないかな多分。ちょっと一癖、二癖ある仕事してる気がする。」
建「え、例えば??」
晃「例えば・・・・パパラッチとか。(笑)それかめっちゃ普通のサラリーマンとかね。」
建「いやーやってなさそー!!!!」
―じゃあやってみたい職業ってあります?
考古学者・野球選手・宇宙飛行士・海賊等がラインナップし、盛り上がりました。(略)
―今だからこそ言えるSHIT HAPPENINGって何だと思いますか?
建「バンドが出来てから作品を出す毎に、何かしら答えを探そうとして“今”をパッケージングし続けてきたんですけど、今後もっと特化していきたいです。
自分の経験したことや、皆を通じて思った事を言葉にして、曲にして届けていきたいですね。
「今年の夏を」「去年の冬は」とか、いつ聴いても「あの時こうだったよね」って一緒に歩いて共有できるようなバンドになれるように、今こういう風に話した事とか、さっきのインストアの事とか、今年暑かった事とかをまた曲にして。
来年かもしれないし、次の作品かもしれないし。
でもいずれ出した時に、その時の事とかを思い出しながら聴いて、またそこから何年後かに聴いた時もその時の事を思い出せるくらい自分らが皆の生活の一部に密接にあれたら嬉しいですね。」
kuh クー
Vo/Gt/Ba.クボタマサヒコ
Dr.ヤマモトヒロ
Gt・Key.タダヨシフミ
(L→R)
元BEAT CRUSADERSのベーシストであるクボタマサヒコが率いるバンドである。
もともとはクボタが活動していたpopcatcherが解散した後の2002年に、過去にアコースティックライブで共演し、今はQ;indiviで活動している田中ユウスケと曲作りを始めるようになったのが始まりである。
当初は、メンバーが確定しておらず、自由参加型のユニットとして活動していた。
エレクトロニクスとアコースティックがゆるやかに融け合うPOPミュージックを奏でる3人組。
日常に寄り添うような心地の良いサウンド。
予測不能に次々と重ねられ、いつの間にか聴く人を虜にする。
無色透明、無形。色とりどりの色彩によって塗られた楽曲の形に相応しい言葉を見つけるのはまだまだ先のようだ。
公式HP⇒http://www.kuh.jp/
公式Twitter⇒https://twitter.com/_kuh_
YouTube⇒『"MUSiK Anatomia" (official trailer)』
2015.9.3 interview
―kuhの加入へのきっかけは?
「ちょうど僕が20歳ぐらいの頃に前のバンドを地元でやっていて、その時によく出演していたハコが横浜F.A.Dでというハコだったんですけど、ライブを重ねていくうちにBEAT CRUSADERSというバンドのツアーに誘ってもらいまして。
その時に現在のkuhのVo/Gt.クボタマサヒコと知り合ったのがきっかけですね。
その後自分のバンドが解散して、ちょっとバンドはいいかなーと思っていた時期にたまたまkuhのライブに行った時にクボタさんに会って、「今何もバンドやってないなら一緒にやらない?」と誘ってもらったのがきっかけです。」
―kuhの前にバンド組まれていたんですね。
「インストバンド組んでました。18歳ぐらいから4.5年ぐらい続けてましたね。」
―インストバンドからの歌モノバンドへの転向って結構変わったりしないんですか?
「元々歌モノは好きだったので、あまり違和感はなかったですね。」
―最近ソロで弾き語りの活動されてるみたいですが、きっかけは?
「20代の頃は一人でやってみたいと思うことが全然なかったんですけど、30超えてからここ1年ぐらいで一人でやってみようかなーと思うようになって。
というのも、kuhのドラムが手首を怪我してしまって、あまりライブが出来なくなったんです。
それでサポートドラムを入れてライブ活動してたりしたんですけど、やっぱりライブ本数もそこまで入れられないし、でもライブはもう少しやっていきたいなあというのがあったので、「だったら一人でこれを機にやってみようかな」っていう所からですかね。
単純にやってみたいのもあったし、やりたいっていうのもあったし。
変な話になるんですけど30超えてから、「いつ死ぬかわからない」「自分はあとどれだけ生きていられるのか」とか考えるようになったんですよ。
もしかしたら3年後死んでしまうかもしれないし、70.80歳まで生きているかもしれないし、でもすぐ死んでしまうかもしれない、だったら自分で一個作品を残しておきたいなって。
今年いっぱいはバンドの曲も作りつつ、自分の曲も作りつつ、来年何かしら形に出来ればと思ってます。
CDを出すとかではなくてもネットにあげるとかして行きたいですね。」
―バンドとソロの違いって何ですか?
「そもそもバンドだと僕はボーカルではないので、そこが一番の違いといえば違いだし、kuhで自分がメインで作っている曲もあったりはするんですけど歌うのは自分ではないのでそこが一番の違いかなとは思うんですけど。
でもそんなにライブをやるという事に関しては、歌うか歌わないかという点ぐらいでそこまで違いはないかもしれないです。
一人も楽しいです。(笑)」
―kuhってどんなバンドですか?
「Vo/GtのクボタマサヒコがBEAT CRUSADERSを始める前からのバンドなので、バンド自体はすごく長いんです。
ビークルの活動が本格化していた頃はkuhの活動はそこまで頻繁ではなかったんですけど。
楽曲に関して言えば、みんな好きなバンドが似ていたりするので、基本は歌があって、ポップですね。
でも各々が「こういう音楽がやりたい」というのがないんですよね、おそらく。
だから時期だったり、タイミングで作る楽曲のカラーが全然違うんですよ。
それがいいのか悪いのかは分からないですけど(笑)
とにかくマイペースなバンドかなと思いますね、良くも悪くも。」
―タダさん的9.16『ENDSCAPE vol.3』の見どころをお願いします。
「あまり普段から若手と対バンする機会がないんですけど、今回全然知らない若手なので逆に僕はそういうのがやりたかったのでよかったなと思います。
LOFTのBARステージに立つのは自分自身アコースティックではおそらく初かと思うので楽しみですね。
それに19歳と31歳の共演というのは見どころですね。(笑)
当日は先輩風吹かせてみようと思います(笑)」